2011.08.28
第2子誕生!
このたび8月4日に、私事ながら、ドミニカ共和国において第2子を出産いたしました!パチパチ
37週目と若干早めの出産、かつ海外での出産と言うこともあり、すったもんだがありましたが、今は母子共に健康に過ごしております。
本ブログとは直接関係ないので、他のブログにて出産物語(全8回連載)を公開しています。ぜひ、こちらもご覧ください。


37週目と若干早めの出産、かつ海外での出産と言うこともあり、すったもんだがありましたが、今は母子共に健康に過ごしております。
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2011.07.08
カリブの美しい街ペチョンビル。。一体どこへ?
私たちが宿泊した場所は、ペチョン・ビルという丘の上に立つ「Karibe Hotel」。首都のポルトープリンスでは最上級とも言われるホテルで、設備もいいし、それなりに価格も高め。ただ、今回は自家用車で移動しているし、小さい子供もおり、ホテル内だけでなくパーキングにも安全性を求めていたので、お金を出して安全を買うことにした。
このペチョン・ビル、昔はカリブで最も美しい街として有名だったらしい。丘の上から見えるカリブ海やポルトープリンスは、最高の眺めだったという。もちろん、当時は独裁政権によりペチョン・ビルに住む人々は社会的・経済的にハイクラスの人に限られており、だからこそ安全でもあった。しかし、貧困者の立場を強めようとしたアリスティード政権に代わり、貧しい人々もこのペチョン・ビルに住めるようになり、地域はスラム街化し、それと同時に犯罪も増えた。そして、もともと住んでいた上流階級の人々は安全を求め、海外へ流出する結果となった。空き家となった豪華な家々の多くは、現在援助機関等で働く人々に賃貸されているという。
以前は、美しい街であったペチョン・ビル、そんなワケで今は整然とした綺麗な街とは言いがたい。道路に並ぶマーケットから出されるゴミは山積みとなり、また急斜面には倒れそうなほど住宅が密集し、スラム街を形成し、景観を崩している。逆に、頭に荷物を載せて運ぶ人々が行き交う行商の街になってしまった。

とは言え、ホテルの敷地に入れば別世界。欧米からの客が溢れ、リゾート気分。でも、予算が限られている私たちは、家から持参したパンとジュースで食費節約。あとは、主人の親戚の家でご馳走になるなど、結局最上級ホテルに宿泊したものの、レストランや有料施設は一度も利用せず、リゾート気分になりきれない旅行となってしまった
。うちの息子だけは、大きいプールに入れたことが嬉しかったらしく、今でも「遠い遠いところのプールに行きたい!」と言って私たちを困らせている。

このペチョン・ビル、昔はカリブで最も美しい街として有名だったらしい。丘の上から見えるカリブ海やポルトープリンスは、最高の眺めだったという。もちろん、当時は独裁政権によりペチョン・ビルに住む人々は社会的・経済的にハイクラスの人に限られており、だからこそ安全でもあった。しかし、貧困者の立場を強めようとしたアリスティード政権に代わり、貧しい人々もこのペチョン・ビルに住めるようになり、地域はスラム街化し、それと同時に犯罪も増えた。そして、もともと住んでいた上流階級の人々は安全を求め、海外へ流出する結果となった。空き家となった豪華な家々の多くは、現在援助機関等で働く人々に賃貸されているという。
以前は、美しい街であったペチョン・ビル、そんなワケで今は整然とした綺麗な街とは言いがたい。道路に並ぶマーケットから出されるゴミは山積みとなり、また急斜面には倒れそうなほど住宅が密集し、スラム街を形成し、景観を崩している。逆に、頭に荷物を載せて運ぶ人々が行き交う行商の街になってしまった。

とは言え、ホテルの敷地に入れば別世界。欧米からの客が溢れ、リゾート気分。でも、予算が限られている私たちは、家から持参したパンとジュースで食費節約。あとは、主人の親戚の家でご馳走になるなど、結局最上級ホテルに宿泊したものの、レストランや有料施設は一度も利用せず、リゾート気分になりきれない旅行となってしまった
。うちの息子だけは、大きいプールに入れたことが嬉しかったらしく、今でも「遠い遠いところのプールに行きたい!」と言って私たちを困らせている。
2011.06.28
ポルトープリンスの状況
前回のブログにも書いたが、ドミニカ共和国からハイチ共和国に入った瞬間に、その異様な違いに驚かない人はいないだろう。ハイチの領域にはいるや否や、ルールがないところで雑然と人々が生きている様子が伺える。そう、まさに「生きるために働いている」ということを強く感じさせる空気である。
ただ、途上国だからと言って全てがマイナスと言うわけではない。カラフルなミニバス(現地ではカミオネッタと呼ばれる。写真参照。)には、ドミニカ色とは全く異なるハイチ人の明るい国民性を感じる。このミニバス、ピックアップ車の荷台を改造し、椅子と屋根をつけたもので、搭乗人員数は「可能な限り」。座れなくても、屋根からはみ出てても、お構いなし。車輌にはまったく良くないが、人を多く乗せるほど運賃をもらえるからと、人数制限はしていない。国境を渡り、ハイチのマルパッセ市から首都に向かう道路は、人々にとっての交通手段であるカミオネッタがひっきりなしに行き来する。

首都に行く前に、主人の友人の家に立ち寄った。ここでは、おいしいマンゴーをご馳走になった。そう、ハイチでのおいしい果物といえば、マンゴー。特に、マダムフランセスという種類のマンゴーがヨーロッパや北米諸国に人気で、多く輸出されている。日本には、多分輸出されていないであろう。ちょっと繊維質が多いけれども、甘くてジューシー
。友人宅にあるマンゴーの木からもぎ取ったばかりのマダムフランセスをほお張りながら、暑さを吹き飛ばした。もちろん、お土産の分をたくさんもらって。

首都に入ると、人と車でごった返す。イースター休暇なので、これでも閑散としている方だと主人は言うが、道路の両脇にはマーケットが並び、買い物客が道路をふさぐ。マーケットと言っても、ちゃんとした店が並ぶのではなく、家屋の前の歩道を行商人がゲリラ的に占領し、野菜や香辛料といった食料から、靴やおもちゃ、本、お土産などありとあらゆるものを売っている。「家屋の住民から許可を取っているの?」と聞いたところ、「許可も何も、許可を出さなければ逆に暴力等の嫌がらせに遭うから、OKと言わざるを得ないんだよ」と主人からの返事。ハイチの治安を物語る返事。また、地震の前にあった見せ店はほとんど姿を消し、戻ってきていない。地震により秩序が乱れ、安全性が確保されないため、店が営業できないらしい。こんな首都でも、国内で最も経済活動が盛んというのだから、不思議で仕方ない。地震の避難民もまだ公園等でテント生活をしている。地震から1年以上経っているにも関わらず、政府が仮設住宅を作らないので、居座るしかないようだ。国会議事堂は倒れた(半壊)まま、補修工事がされている様子は見受けられない。道端には、まだ多くの瓦礫が残り、つい最近地震があったのではないかと思わせるほど。

道路の両脇をマーケットと買い物客・通行人で占められ、狭い隙間をランクル等の大型車が通る。ここには、立派な大型車が多い。「貧しい人が多いと聞いていたのに」と戸惑うが、まず4駆車でないと、ハイチでの長距離移動は無理。道路がボコボコな上、排水が悪いので、小型車はすぐに故障する。そして、車所有者の多くは援助機関で働く人々や政府関係者。一般市民は、バイクタクシーやミニバスで移動する。
主人に首都の観光案内を頼んだが、車内から見ることしか許されなかった。降りることはもちろん、停車することも危ないということで、のろのろ運転しながらの観光である。しかし、見たものといえば避難民のテント村と崩れたままの政府機関の建物、さらに元大統領であるアリスティード氏が建てたという訳の分からない(?)モニュメントくらいか。UNの敷地は想像以上に広く、UNの影響度の強さを伺わせた。

ただ、途上国だからと言って全てがマイナスと言うわけではない。カラフルなミニバス(現地ではカミオネッタと呼ばれる。写真参照。)には、ドミニカ色とは全く異なるハイチ人の明るい国民性を感じる。このミニバス、ピックアップ車の荷台を改造し、椅子と屋根をつけたもので、搭乗人員数は「可能な限り」。座れなくても、屋根からはみ出てても、お構いなし。車輌にはまったく良くないが、人を多く乗せるほど運賃をもらえるからと、人数制限はしていない。国境を渡り、ハイチのマルパッセ市から首都に向かう道路は、人々にとっての交通手段であるカミオネッタがひっきりなしに行き来する。

首都に行く前に、主人の友人の家に立ち寄った。ここでは、おいしいマンゴーをご馳走になった。そう、ハイチでのおいしい果物といえば、マンゴー。特に、マダムフランセスという種類のマンゴーがヨーロッパや北米諸国に人気で、多く輸出されている。日本には、多分輸出されていないであろう。ちょっと繊維質が多いけれども、甘くてジューシー
。友人宅にあるマンゴーの木からもぎ取ったばかりのマダムフランセスをほお張りながら、暑さを吹き飛ばした。もちろん、お土産の分をたくさんもらって。

首都に入ると、人と車でごった返す。イースター休暇なので、これでも閑散としている方だと主人は言うが、道路の両脇にはマーケットが並び、買い物客が道路をふさぐ。マーケットと言っても、ちゃんとした店が並ぶのではなく、家屋の前の歩道を行商人がゲリラ的に占領し、野菜や香辛料といった食料から、靴やおもちゃ、本、お土産などありとあらゆるものを売っている。「家屋の住民から許可を取っているの?」と聞いたところ、「許可も何も、許可を出さなければ逆に暴力等の嫌がらせに遭うから、OKと言わざるを得ないんだよ」と主人からの返事。ハイチの治安を物語る返事。また、地震の前にあった見せ店はほとんど姿を消し、戻ってきていない。地震により秩序が乱れ、安全性が確保されないため、店が営業できないらしい。こんな首都でも、国内で最も経済活動が盛んというのだから、不思議で仕方ない。地震の避難民もまだ公園等でテント生活をしている。地震から1年以上経っているにも関わらず、政府が仮設住宅を作らないので、居座るしかないようだ。国会議事堂は倒れた(半壊)まま、補修工事がされている様子は見受けられない。道端には、まだ多くの瓦礫が残り、つい最近地震があったのではないかと思わせるほど。

道路の両脇をマーケットと買い物客・通行人で占められ、狭い隙間をランクル等の大型車が通る。ここには、立派な大型車が多い。「貧しい人が多いと聞いていたのに」と戸惑うが、まず4駆車でないと、ハイチでの長距離移動は無理。道路がボコボコな上、排水が悪いので、小型車はすぐに故障する。そして、車所有者の多くは援助機関で働く人々や政府関係者。一般市民は、バイクタクシーやミニバスで移動する。
主人に首都の観光案内を頼んだが、車内から見ることしか許されなかった。降りることはもちろん、停車することも危ないということで、のろのろ運転しながらの観光である。しかし、見たものといえば避難民のテント村と崩れたままの政府機関の建物、さらに元大統領であるアリスティード氏が建てたという訳の分からない(?)モニュメントくらいか。UNの敷地は想像以上に広く、UNの影響度の強さを伺わせた。

2011.05.08
陸路で国境を渡ってハイチへ。
ハイチ人の夫を持ち、ドミニカ共和国に住み始めて、はや5年が経とうとしているが、その間ハイチの首都に行ったことはナシ。今回セマナ・サンタ(イースター)休暇を利用して、初めてハイチの首都ポルトー・プランスへ向かった。
この5年間、ポルトー・プランスに行か(け)なかった大きな理由は、ハイチ人である夫が「危険だから行かせたくない」と言い続けてきたことにつきる。ハイチは、経済レベルが低い上、貧困が原因で政情が不安定。だから、外国人を対象とした強盗や身代金誘拐等の犯罪が多い。しかも、2010年1月に起こった大震災やコレラの流行が重なり、さらに行きにくくなったのは確かだ。
しかし、先日ようやくハイチの大統領選挙も無事終わり、少し落ち着いてきている様子だと言うことで、ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴから2日間かけて、ハイチの首都ポルトー・プランスへ行くことに。もちろん、ひたすら走り続ければ最短7〜8時間で行くことも可能であるが、3歳の子連れ旅行+私自身も妊婦であり、今回はドミニカ側の国境付近の都市Jimani(ヒマニ)で一泊した。
今回通ったルートは、南部に位置するJimani(ドミニカ側の都市)−Malpasse(ハイチ側の都市)(ヒマニ−マルパッセ)の国境抜けルート。ドミニカ共和国とハイチは陸続きで、南北に通る国境線上の各地に入出国検問所があるが、入出国する人数で比較すると、ヒマニ−マルパッセはその中でも、2,3番目に大きいと言われている。この国境付近は、毎週月・木曜日にマーケット(市場)が開かれ、検問所のゲートが開放され、人々が自由に往来できるため、多くの人でごった返す。商品は、食料品(保存の利きやすい缶詰や加工品が多い)から食器、洋服までいろんなものが売られている(写真)。

ごった返すのは人だけではない。リアカーも、車も、大型トラックも、何もかもが何の秩序もなく行き来する。しかも、マーケットが開かれている国境付近、道路状況は最悪
。未整備のためガタガタで穴ぼこだらけ、そしてその穴は大きな水溜りと化している(写真)。道路の一方は湖が迫り、もう一方は山が迫る。この湖、ドミニカ側のエンリキーリョ湖と湖底でつながっていると思われ、両方の湖ともここ数年間で、水位が上昇し続けている。ドミニカ側の入国検問所も今や湖の中に沈んでしまい(写真)、新たに陸地側に建設したほどである。

普通に車がすれ違うのも大変なのに、マーケット開催日はその狭い道路上に露店が並び、そこに買い物客や行商人が押し寄せる。交通整理する警察官らしき人もいるが、全く役割を果たしておらず
、国境を渡るのに2,3時間かかるのも珍しくない。道路を整備し拡張すれば、マーケットの行商人にとっても、国境を渡る流通業者にとっても大きなメリットとなり、それが経済を活性化する第一歩となることは、誰もが分かっているけど、この状況はいつまで経っても変わっていない。「なぜやらないの?−ハイチだから…」。道路建設資金がないのであれば、少なくとも交通整理をする警察官を増やして、時間制限で片側通行を規制したり、マーケットの場所を再設定するなど、できることから始めればいいのに…「なぜやらないの?−ハイチだから…」。ハイチ人の夫に尋ねても、こんな回答。ハイチにおける開発が進まないことが、この国境付近の状況を見ただけでも分かる。
「無秩序な社会が普通である社会」に住み続けている人々は、社会の改善を望んでいないのであろうか。望んでも文句を言っても何も変わらない(変わってこなかった)から、諦めてしまったのだろうか。ハイチにおける社会の混沌さは、ルールがない社会で、人々が社会との結びつきを意識せずに行動してきた結果ではないかと、私の目には映る。つまり、極端に言えば、「個人は社会から恩恵を受けていないし、社会に対して義務や責任も抱いていない」ということ。こんな中でも人々は一生懸命生きて、笑顔を絶やさないんだから、彼らの生命力・精神力・忍耐力は大したものである。
私自身、今までいろんな国を訪れており、陸路で国境をわたる経験も何回かしているが、国境を越えるや否や「まるで違う国」を強く感じるのは、カンボジア−タイの国境を越えた経験以来。ここ、イスパニョーラ島では、ハイチとドミニカで人種がはっきりと違う。ドミニカ人がヨーロッパ系とアフリカ系の混血が進んでいるのに対し、ハイチ人はアフリカ系の色がかなり強い。皮膚の色も異なれば、植民地時代の宗主国が異なるため、言語も異なる。
そして、陸路による国境越えだからこそ身にしみて発見できる違いは、道路の整備状況。経済レベルの違いを如実に物語っている。Jimani市内の道路も穴ぼこはあるものの一応舗装されている。しかし、前述したとおり、ハイチに入った途端に未舗装の道路や水溜りが続くため、車内は常時バイブレーション。でも嬉しいことに、このバイブレーションマッサージのおかげ(?)で、妊娠で悩んでいた腰痛が解消しました!
摩訶不思議?!
(続きは次回に…)
この5年間、ポルトー・プランスに行か(け)なかった大きな理由は、ハイチ人である夫が「危険だから行かせたくない」と言い続けてきたことにつきる。ハイチは、経済レベルが低い上、貧困が原因で政情が不安定。だから、外国人を対象とした強盗や身代金誘拐等の犯罪が多い。しかも、2010年1月に起こった大震災やコレラの流行が重なり、さらに行きにくくなったのは確かだ。
しかし、先日ようやくハイチの大統領選挙も無事終わり、少し落ち着いてきている様子だと言うことで、ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴから2日間かけて、ハイチの首都ポルトー・プランスへ行くことに。もちろん、ひたすら走り続ければ最短7〜8時間で行くことも可能であるが、3歳の子連れ旅行+私自身も妊婦であり、今回はドミニカ側の国境付近の都市Jimani(ヒマニ)で一泊した。
今回通ったルートは、南部に位置するJimani(ドミニカ側の都市)−Malpasse(ハイチ側の都市)(ヒマニ−マルパッセ)の国境抜けルート。ドミニカ共和国とハイチは陸続きで、南北に通る国境線上の各地に入出国検問所があるが、入出国する人数で比較すると、ヒマニ−マルパッセはその中でも、2,3番目に大きいと言われている。この国境付近は、毎週月・木曜日にマーケット(市場)が開かれ、検問所のゲートが開放され、人々が自由に往来できるため、多くの人でごった返す。商品は、食料品(保存の利きやすい缶詰や加工品が多い)から食器、洋服までいろんなものが売られている(写真)。

ごった返すのは人だけではない。リアカーも、車も、大型トラックも、何もかもが何の秩序もなく行き来する。しかも、マーケットが開かれている国境付近、道路状況は最悪
。未整備のためガタガタで穴ぼこだらけ、そしてその穴は大きな水溜りと化している(写真)。道路の一方は湖が迫り、もう一方は山が迫る。この湖、ドミニカ側のエンリキーリョ湖と湖底でつながっていると思われ、両方の湖ともここ数年間で、水位が上昇し続けている。ドミニカ側の入国検問所も今や湖の中に沈んでしまい(写真)、新たに陸地側に建設したほどである。

普通に車がすれ違うのも大変なのに、マーケット開催日はその狭い道路上に露店が並び、そこに買い物客や行商人が押し寄せる。交通整理する警察官らしき人もいるが、全く役割を果たしておらず
、国境を渡るのに2,3時間かかるのも珍しくない。道路を整備し拡張すれば、マーケットの行商人にとっても、国境を渡る流通業者にとっても大きなメリットとなり、それが経済を活性化する第一歩となることは、誰もが分かっているけど、この状況はいつまで経っても変わっていない。「なぜやらないの?−ハイチだから…」。道路建設資金がないのであれば、少なくとも交通整理をする警察官を増やして、時間制限で片側通行を規制したり、マーケットの場所を再設定するなど、できることから始めればいいのに…「なぜやらないの?−ハイチだから…」。ハイチ人の夫に尋ねても、こんな回答。ハイチにおける開発が進まないことが、この国境付近の状況を見ただけでも分かる。「無秩序な社会が普通である社会」に住み続けている人々は、社会の改善を望んでいないのであろうか。望んでも文句を言っても何も変わらない(変わってこなかった)から、諦めてしまったのだろうか。ハイチにおける社会の混沌さは、ルールがない社会で、人々が社会との結びつきを意識せずに行動してきた結果ではないかと、私の目には映る。つまり、極端に言えば、「個人は社会から恩恵を受けていないし、社会に対して義務や責任も抱いていない」ということ。こんな中でも人々は一生懸命生きて、笑顔を絶やさないんだから、彼らの生命力・精神力・忍耐力は大したものである。
私自身、今までいろんな国を訪れており、陸路で国境をわたる経験も何回かしているが、国境を越えるや否や「まるで違う国」を強く感じるのは、カンボジア−タイの国境を越えた経験以来。ここ、イスパニョーラ島では、ハイチとドミニカで人種がはっきりと違う。ドミニカ人がヨーロッパ系とアフリカ系の混血が進んでいるのに対し、ハイチ人はアフリカ系の色がかなり強い。皮膚の色も異なれば、植民地時代の宗主国が異なるため、言語も異なる。
そして、陸路による国境越えだからこそ身にしみて発見できる違いは、道路の整備状況。経済レベルの違いを如実に物語っている。Jimani市内の道路も穴ぼこはあるものの一応舗装されている。しかし、前述したとおり、ハイチに入った途端に未舗装の道路や水溜りが続くため、車内は常時バイブレーション。でも嬉しいことに、このバイブレーションマッサージのおかげ(?)で、妊娠で悩んでいた腰痛が解消しました!
摩訶不思議?!(続きは次回に…)
2011.04.19
ハイチの大統領選挙−誰が得をしたか?−
2011年3月20日、ハイチで大統領決選投票が行われ、その結果、人気歌手のミシェル・マーテリー氏(50)が約68%を得票、元ファーストレディーのミルランド・マニガ氏(70)を破り、当選した。本ブログで大統領選について述べたのは、2010年8月22日。なぜ、これほどまでに時間がかかったのか?ハイチの政治の弱さ、不安定さを物語っている。
2010年1月に襲われた大地震で、約25万人が死亡し、数十万人以上が現在でもテント生活をしていると言われている。震災から1年以上を経過した今でも、状況はほとんど変わっていないという声も聞かれる。経済レベルや政情が大きく異なるので、今回の日本の震災による復興状況と比較するのはナンセンスかもしれないが、復興に向けた道のりは、ハイチのほうがやはり困難だし、時間もかかることは間違いない。一方、普段から電気や水道などのライフラインが「なくても当たり前」で生活していた分、テント生活している人々の精神的な強さは、日本の被災者よりも強いかもしれない。
このような状況の中、大統領選挙ははじめから困難が予想されていた。そしてダブルパンチは、2010年秋から始まったコレラの流行である。ある人は、現プレバル大統領がその権力を維持するため、わざとコレラを仕掛け、国をさらに不安定に導き、選挙の延期を図ったのではないかというが、真相は誰にも分からない。
混沌の中、第1回目の選挙が2010年11月28日に行われ、ミルランド・マニガ氏(1988年のレスリ・マニガ元大統領の妻)とプレバル大統領が支持する娘婿のジュード・セレスタン候補が、上位2者と報道され、人気歌手のミシェル氏は第3位と、この段階で落選した。いずれの候補者も50%以上の投票を得ていないため、この上位二人による決選投票が2011年1月16日に予定された。しかし実際は、案の定とでも言うべきか、準備不足と選挙監視不備により、公正な選挙はできておらず、暴動まで起こるほどで、悲しいことに2人が死亡する結果となった。また、結果に不正があると不服を申し出た候補人は19人中12人に上り、さらに国内の秩序は乱れた。
これを受け、国際社会も選挙結果の見直しを支援し始めた。そして、ミルランド・マニガ氏とミシェル・マーテリー氏が上位2者と、前報道結果とは異なる結果を明らかにした。この見直し作業により、予定されていた決選投票が3月20日と延期された。そして、今回は国際社会による強い監視の中、比較的公正に選挙が行われ、政治経験が無いものの、大衆の人気を得たミシェル氏が暫定的に当選することとなった。
プレバル現大統領の当初の任期は2010年2月までであったが、震災、コレラ、そして選挙の不正が相次ぎ、1年以上その任期が延期されている。国内の政情が不安定にありつつも、選挙の延期により結果的に得をしたのはプレバル大統領とその支持者だという見方もあろう。この困難の連続を仕方ないと見るか、あるいは現政党の権力維持を目的とした政治作戦と読むかは、人それぞれであるが、いずれにしてもハイチのガバナンスの弱さを示していることは明らかである。
国会議員の選挙結果を含めた正式な最終結果が明日4月20日に発表される予定である。新大統領に期待することも大きいが、新大統領着任前にこれ以上混乱がおこらないことをまず願うばかりである。
2010年1月に襲われた大地震で、約25万人が死亡し、数十万人以上が現在でもテント生活をしていると言われている。震災から1年以上を経過した今でも、状況はほとんど変わっていないという声も聞かれる。経済レベルや政情が大きく異なるので、今回の日本の震災による復興状況と比較するのはナンセンスかもしれないが、復興に向けた道のりは、ハイチのほうがやはり困難だし、時間もかかることは間違いない。一方、普段から電気や水道などのライフラインが「なくても当たり前」で生活していた分、テント生活している人々の精神的な強さは、日本の被災者よりも強いかもしれない。
このような状況の中、大統領選挙ははじめから困難が予想されていた。そしてダブルパンチは、2010年秋から始まったコレラの流行である。ある人は、現プレバル大統領がその権力を維持するため、わざとコレラを仕掛け、国をさらに不安定に導き、選挙の延期を図ったのではないかというが、真相は誰にも分からない。
混沌の中、第1回目の選挙が2010年11月28日に行われ、ミルランド・マニガ氏(1988年のレスリ・マニガ元大統領の妻)とプレバル大統領が支持する娘婿のジュード・セレスタン候補が、上位2者と報道され、人気歌手のミシェル氏は第3位と、この段階で落選した。いずれの候補者も50%以上の投票を得ていないため、この上位二人による決選投票が2011年1月16日に予定された。しかし実際は、案の定とでも言うべきか、準備不足と選挙監視不備により、公正な選挙はできておらず、暴動まで起こるほどで、悲しいことに2人が死亡する結果となった。また、結果に不正があると不服を申し出た候補人は19人中12人に上り、さらに国内の秩序は乱れた。
これを受け、国際社会も選挙結果の見直しを支援し始めた。そして、ミルランド・マニガ氏とミシェル・マーテリー氏が上位2者と、前報道結果とは異なる結果を明らかにした。この見直し作業により、予定されていた決選投票が3月20日と延期された。そして、今回は国際社会による強い監視の中、比較的公正に選挙が行われ、政治経験が無いものの、大衆の人気を得たミシェル氏が暫定的に当選することとなった。
プレバル現大統領の当初の任期は2010年2月までであったが、震災、コレラ、そして選挙の不正が相次ぎ、1年以上その任期が延期されている。国内の政情が不安定にありつつも、選挙の延期により結果的に得をしたのはプレバル大統領とその支持者だという見方もあろう。この困難の連続を仕方ないと見るか、あるいは現政党の権力維持を目的とした政治作戦と読むかは、人それぞれであるが、いずれにしてもハイチのガバナンスの弱さを示していることは明らかである。
国会議員の選挙結果を含めた正式な最終結果が明日4月20日に発表される予定である。新大統領に期待することも大きいが、新大統領着任前にこれ以上混乱がおこらないことをまず願うばかりである。


